
第24話 静寂の密室(前編)
公開日: 2025/08/22
先日の任務で、榊原れんの裏の顔を見てしまったひより。
表向きは誰からも慕われる頼れる先輩。だが、ひよりの前でだけは欲望を隠そうともせず、あの日は背筋が凍るほどの恐怖と屈辱を味わった。
仲間の到着で事態は中断されたものの──もし止められなければと思うと、想像するだけで身体が震える。
報告は榊原が取り仕切り、ひよりはその後に続くだけだった。
もちろん、あの日の出来事など誰にも口にできなかった。
言ったところで信じてもらえない。そう思い知らされたから。
──そして数日後の夜。
訓練を終え、汗を滲ませながら寮へ戻る廊下をひよりは歩いていた。
数滴の汗が首筋から鎖骨へと滑り落ち、熱を帯びた肌をより艶やかに見せる。
ほのかな柑橘系の香りが揺れ、歩みのあとに残り香のように漂っていた。
そのとき、廊下の角を曲がった先に、榊原の姿があった。
「……やあ。訓練帰りか?」
柔らかい笑み。みんなの前で見せる“表の顔”。
けれど、その奥に潜む裏の視線を、ひよりはもう知っている。
胸がざわつき、足を止める。背を向けたい、逃げたい──
一歩だけ後ろへ退き、進行方向を変えようとした。
だが──
「どこへ行くんだい?」
ゆっくりと、しかし確実に距離を詰めてくる。
一歩近づかれるたび、あの日の出来事が脳裏にフラッシュバックする。
押さえつけられた感触、耳元で囁かれた言葉、そして羞恥に焼けるような記憶。
胸の奥が恥ずかしさと怒りでいっぱいになり、呼吸が乱れる。
榊原の顔は、あくまで表向きの“好青年”のまま。
けれど、ひよりにはその笑みの奥で、冷たくにやりと嗤っているようにしか見えなかった。
「……な、なんの用ですか」
無理に冷たい声を絞り出す。
「なんの用って……冷たいなあ。この間のことを、謝りたくてさ」
「……」
一瞬だけ驚きが胸をかすめる。だが、油断はできない。ひよりは警戒を解かず、沈黙で応じた。
すると榊原は、すっと身を寄せ、耳元に吐息をかけるように囁いた。
「──内容を誰かに聞かれるとまずいだろう? だから……君の部屋に入れてくれないかな」
「……えっ……」
次の瞬間、男の手にした携帯がひよりの視界に突き出された。
画面には、この間撮られた無防備な自分の姿が映し出されている。
「っ……!!」
反射的に携帯を奪おうと手を伸ばすが、その手首を逆に掴まれる。
榊原はさらに低く、いやらしく囁いた。
「誰にも見られたくないだろう? ……賢い君なら、どうするべきかわかるよね」
「……っ……」
再びあの日の怒りと屈辱が込み上げる。
だが抗う術はなく、声も出せない。
ひよりは唇を噛み締め、黙ったまま、重い足を寮の自室へと向けた。
ひよりの首筋を伝う汗は、さきほど訓練で流したさわやかな汗とは違い、冷たく粘つく嫌な汗だった。
部屋の扉の前に立ち、鍵を差し込む。
カチリと音が鳴った瞬間、ふと背後に視線を感じて振り返る。
だが、そこには何の気配もない。
「──じゃあ、入らせてもらうね」
榊原が先に足を踏み入れる。
その背中を見て、ひよりはもう一度振り返ったが、やはり廊下には誰もいなかった。
彼の後を追って自らの部屋へ入る。
部屋の中に榊原がいる──その光景だけで、違和感と嫌悪感が胸をざわめかせる。
榊原は落ち着いた様子で辺りを見回し、意味深に呟いた。
「これが……ひよりちゃんの部屋か」
「……あまり、じろじろ見ないでください。それより……そんなものを見せて、本当に謝る気があるんですか」
ひよりの問いかけに、榊原は鼻で笑い、すんすんと部屋の香りを嗅ぎ取る。
「謝る? ……ああ、あれはね。君を少し油断させるためだけの言葉だよ」
「……っ!」
言葉を呑み、目を鋭く細めるひより。
その瞬間、部屋にあげてしまった自分を激しく後悔していた。
「……じゃあ、用ってなんですか」
苛立ちを隠せずに問い詰めると、榊原は肩をすくめて答える。
「そんなに急かすなよ。──まあ、端的に言えば“この間の続きをしよう”ってことだ」
予想はしていた。
だが“続き”という言葉の真意を思うと、胸の奥が冷たく締めつけられる。
「それに……こいつを消してほしいんだろ?」
携帯をちらつかせる。画面には、あの日のひよりの無防備な姿がはっきりと映っていた。
「……っ! 卑怯者……!」
唇を噛み締め、睨みつけるひより。
狡猾に微笑む榊原の表情は、表の顔と裏の顔の狭間で、さらに不気味さを増していた。

「……じゃあ、始めようか」
榊原は淡々と告げると、ひよりの胸元に手を伸ばし、シャツ越しにいやらしく揉みしだいた。
ぞわりと背筋を駆け抜ける感覚。反射的にその手を掴み、引き剥がそうとした──
「おっと……抵抗すると、いつまで経っても終わらないよ?」
低く脅すような声。
その一言に、ひよりの指先から力が抜け落ちる。
「……わかりましたから……さっさと済ませてください……」
絞り出すように言った声は、悔しさと屈辱で震えていた。
「いい子だ。でも──せっかく気持ちのいいことをするんだ、お互い楽しまなきゃ損だろ?」
榊原はあの日と同じ仕草で、シャツのボタンを一つひとつ外し、ブラジャーのホックを解いた。
その動きは迷いもなく流れるようで、逆にひよりの嫌悪を煽る。
再びあらわになった胸に手を添えると、ゆっくりと撫で、揉みほぐすように動かす。
豊かな膨らみは指を押し返すほどの張りと弾力を示しながら、形の美しさと柔らかさを同時に主張していた。
ひよりは唇を噛みしめ、羞恥に耐えるしかなかった。
榊原の指先が、定期的に先端をつんと弾く。
「……んっ……」
思わず小さな声が漏れる。
憎むべき相手に触れられているというのに、身体は正直に反応してしまう。
──淫霊に吹きかけられた媚薬のような粘液の後遺症。
一度は医療棟で処置してもらったものの、再びぶり返してしまった症状。
そのうえ、これまで任務で繰り返し与えられたさまざまな刺激が、ひよりの身体をどうしようもなく感じやすいものにしてしまっていた。
(……いやなのに……どうして……)
羞恥と戸惑いを押し殺しても、熱は否応なく胸の奥からせり上がる。
肌は火照り、首筋や鎖骨にじわりと汗が滲み、雫となって滑り落ちた。
訓練後の疲労に熱が重なり、全身はだるさと甘い痺れに包まれていく。
部屋全体には、ひよりの汗と微かに漂う甘い香りが溶け合い漂っていた。
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