
第5話 油断の代償
公開日: 2025/07/07
神崎ひよりは、着実に同期の封霊師たちより頭角を現していた。
特異体質という扱いづらい能力を逆手に取り、的確な判断と近接封霊の腕を磨きあげ、
封霊会では密かに「次期エース候補」として名が挙がるほどの存在になっていた。
「――今回は、下級淫霊一体。記録にある限り、封霊経験も何度もあるタイプ。問題ないわね」
ひよりは一人、指定された任務地へと向かった。
場所は郊外の旧工業地帯。打ち捨てられた倉庫が並ぶ区域。
足元には水たまり。湿気とともに、瘴気がゆっくりと充満していた。
(瘴気の濃度、想定より高い。けど、焦るほどじゃない…)
倉庫に足を踏み入れて間もなく、目的の淫霊が現れた。
地を這うように揺らめくシルエット。濃い黒霧を纏い、腕のような触手が何本も伸びていた。
ひよりは身構え、息を整える。
「――いける」
足を踏み出し、一直線に駆ける。
淫霊の腕がうねるように襲いかかるが、ひよりは軽やかにそれを回避し、拳を突き出した。
「封ッ!」
霊気をまとった拳が淫霊の中心核を穿ち、影がたちまち霧散する。

(……ふぅ。意外とあっけなかったわね)
安堵と同時に、全身から気が抜けたその瞬間だった。
ズ……ッ
背後に、音もなく迫る気配。
次の瞬間、首筋から背中にかけて、冷たい粘液がぬるりと滑った。
「っ――!?」
動く間もなく、背後から腕のようなものが絡みつく。
それは触手。――しかも、もう1体、別の淫霊。
(嘘……報告では一体だけのはず……!)
手足が縛られ、身動きがとれなくなる。
脚に巻き付いた触手がじわじわと這い上がってくる。
這い上がった軌跡には、粘液がじわりと垂れて、肌にぬるりとした感覚が這い回る。
「く……っ、動け、ない……!」
ひよりは身体を捩るが、ぬめるような拘束に関節を封じられ、思うように動けない。
(このままじゃ……力が……っ)
背後の淫霊は、まるで人のような形をとり、ひよりの前に移動してくる。
その指先から滴る透明な液体が、彼女の胸元へ、服の隙間へと染み込み──冷たいはずなのに、熱を孕んだような刺激を与える。
過去の任務で刻まれた名残が、再び疼きを呼び覚まし、理性の境界を鈍くさせていく。
肌に触れる感覚の一つひとつが、やけに鮮明で、ひよりの呼吸は浅く、速くなっていく。
「ん…っ」
(だめ……このままじゃ……!)
ひよりは逃げ出そうと身体をよじっているのを横目に淫霊は、
大きくシャツが開いた胸元から、下着を押し上げて豊からな膨らみに触れ、その先端に粘液を垂らす。
「…ぁあっ…!」
(前回の任務で妙に…感じやすくなってるから…さらに別の粘液が絡むと……)
ひよりの視界が揺れる。
時間の感覚すら曖昧になる。
このまま意識を失いかけた、その瞬間だった――。
「そこまでだッ!!」
砕けるような声と共に、鋭い符が空を裂いた。
「り……さ、さ……ん……」
ひよりの目に映ったのは、先輩の氷室りさ。
風のように駆けてきた彼女が、淫霊の体を符で封じた。
「今、助けるからね!」
淡く光る幾重もの符が、夜の空間を浄化するように放たれ、淫霊の姿は呆気なく霧へと変わり、消えていった。
力が抜け、ひよりの膝が崩れる。
その身体を、りさがすぐさま受け止める。
「大丈夫…!?ひよりちゃん!」
「……ありがとうございます……助かりました……」
「…たまたま近くの任務をしていて通りかかったからよかったものの…もしあと少し遅れてたら──」
その言葉に、ひよりは微かにうなずく。
(任務には、想定外がある――だからこそ、油断してはいけない)
ひよりは、封霊の過酷さをまた一つその身体をもって覚えたのであった。
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