第5話 油断の代償

神崎ひよりは、着実に同期の封霊師たちより頭角を現していた。

特異体質という扱いづらい能力を逆手に取り、的確な判断と近接封霊の腕を磨きあげ、

封霊会では密かに「次期エース候補」として名が挙がるほどの存在になっていた。

「――今回は、下級淫霊一体。記録にある限り、封霊経験も何度もあるタイプ。問題ないわね」

ひよりは一人、指定された任務地へと向かった。

場所は郊外の旧工業地帯。打ち捨てられた倉庫が並ぶ区域。

足元には水たまり。湿気とともに、瘴気がゆっくりと充満していた。

(瘴気の濃度、想定より高い。けど、焦るほどじゃない…)

倉庫に足を踏み入れて間もなく、目的の淫霊が現れた。

地を這うように揺らめくシルエット。濃い黒霧を纏い、腕のような触手が何本も伸びていた。

ひよりは身構え、息を整える。

「――いける」

足を踏み出し、一直線に駆ける。

淫霊の腕がうねるように襲いかかるが、ひよりは軽やかにそれを回避し、拳を突き出した。

「封ッ!」

霊気をまとった拳が淫霊の中心核を穿ち、影がたちまち霧散する。

(……ふぅ。意外とあっけなかったわね)

安堵と同時に、全身から気が抜けたその瞬間だった。

ズ……ッ

背後に、音もなく迫る気配。

次の瞬間、首筋から背中にかけて、冷たい粘液がぬるりと滑った。

「っ――!?」

動く間もなく、背後から腕のようなものが絡みつく。

それは触手。――しかも、もう1体、別の淫霊。

(嘘……報告では一体だけのはず……!)

手足が縛られ、身動きがとれなくなる。

脚に巻き付いた触手がじわじわと這い上がってくる。

這い上がった軌跡には、粘液がじわりと垂れて、肌にぬるりとした感覚が這い回る。

「く……っ、動け、ない……!」

ひよりは身体を捩るが、ぬめるような拘束に関節を封じられ、思うように動けない。

(このままじゃ……力が……っ)

背後の淫霊は、まるで人のような形をとり、じわじわと距離を詰めてくる。

その指先から滴る透明な液体が、彼女の胸元へ、服の隙間へと染み込み──冷たいはずなのに、熱を孕んだような刺激を与える。

過去の任務で刻まれた名残が、再び疼きを呼び覚まし、理性の境界を鈍くさせていく。

肌に触れる感覚の一つひとつが、やけに鮮明で、ひよりの呼吸は浅く、速くなっていく。

(だめ……このままじゃ……!)

ひよりは逃げ出そうと身体をよじっているのを横目に淫霊は、

大きくシャツが開いた胸元から、下着を押し上げて豊からな膨らみに触れ、膨らみの先端に粘液を垂らす。

(んっ……ただでさえ、前回の任務で熱くなりやすくなっているのに、さらに別の粘液が絡むと……)

視界が揺れる。

時間の感覚すら曖昧になる。

このまま意識を失いかけた、その瞬間だった――。

「そこまでだッ!!」

砕けるような声と共に、鋭い符が空を裂いた。

「り……さ、さ……ん……」

ひよりの目に映ったのは、氷室りさ。

風のように駆けてきた彼女が、淫霊の体を符で封じた。

「今、助けるからね!」

淡く光る幾重もの符が、夜の空間を浄化するように放たれ、淫霊の姿は呆気なく霧へと変わり、消えていった。

力が抜け、ひよりの膝が崩れる。

その身体を、りさがすぐさま受け止める。

「大丈夫…!?ひよりちゃん!」

「……ありがとうございます……助かりました……」

「まったく……たまたま近くの任務をしていて通りかかったからよかったものの…もしあと少し遅れてたら──」

その言葉に、ひよりは微かにうなずく。

(任務には、想定外がある――だからこそ、油断してはいけない)

ひよりは、封霊の過酷さをまた一つその身体をもって覚えたのであった。